もう少し在留を延長したい理由は
孤独のグルメオンリーイベント ←これなんです。
あーあ〜しかし神奈川県だとさすが無理だな。宿泊は東京だし...残念!
でも東京なら「坊っちゃんの時代」は買えるんだからそれで十分。(谷口ジローのファンです)
あのイベントはスキマフェスティバルの一部のようですが、その中にヂアオンリーがあっても不思議ではないかも...
『ストレンヂア無皇刃譚オンリーイベント』...嗚呼なんて素晴らしい!
夢でもいいから見てみたいです...
*パチパチどうもありがとうございます!
東京いきます
来月の末、東京に行きます。観光じゃなくて学校行事ですが。
突然決まったので正直こまってるし、よりによって東京に行くたびお世話になっていた友達のところにはご両親が訪ねるので泊まれないし...というわけで急いで安い合宿を検索してます。がやはり東京だときついですね。(笑)
確かまんが喫茶やカプセルホテルなどが値段的に一番都合がいいのですが、友達からあまり安全ではないと言われて少し戸惑っています。女性専用の部屋もあるからそんなに危険な場所には見えなかったけどこっちは地元民の話をきいた方がいいでしょうか?
にしても学校のみんなのように学会場近所のホテルに泊まるにはさすがに無理。普通のビジネスホテルのくせに大学の近所だといって高すぎ!早く安くていい合宿みつかるといいな...
もし合宿(できれば上野辺の)について何かいい情報や忠告がございましたらぜひコメントやメールしてください!助かります〜
何かいそがしい中心配事が増えて困ってるけど、聖地巡りを楽しみにして頑張ります。(笑)
ヂアフィギュア欲しい...
PS.今日再びヂアの無料上映をみました。HPとMPが回復された気分>_<
なぜか女子観客が明らかに多かったけど、笑い所などをみるともしかして...腐のつく仲間?
特に羅狼への反応は爆発的すぎで汗かいたよ...
原稿中
締め切りは、来週の金曜日。
…いけるのか〜?!
というわけで超潜りモードなんです。すみません。
原稿中のサントラ
原稿中に聴く音楽をアップデートしながら日本語版の「レ・ミゼラブル」サントラを追加しましたが
(原稿というのは8月末ソウルの同人イベントに出すヤツ)
英語版とイメージが妙に似てたりして、けっこう面白いです。
ところが「ワン・デイ・モア」の歌詞なんですが
ジャン・ヴァルジャンのパートで
these men who seem to know my crime
will surely come a second time
(俺の罪を知る男たちが
また追いかけてくるだろう)
という、つまり強盗たちをジャヴェールの追っ手と勘違いして危機感をおぼえるところです。
がそれが日本語版には
男たちはまた
俺を追いかける
…なんの脈略もなくただ男達が追ってくるだけなのか…
いったいどういうわけなんだ!まさかー

確かジャン・ヴァルジャンは19年も監獄にいた…
それに逞しい体の力士で‘起重機のジャン’などと呼ばれていた…
そして18世紀の監獄だって男同士の暴力的なアレがあったはず…
つまりジャン・ヴァルジャンは19年も監獄生活をしていたうちに生き残るため次々と強者達を倒し(…)結局伝説の男、絶倫大王―起重機のジャンになったのである!
それから出所してもジャン・ヴァルジャンのテクニックを忘れられなかった前科者のストーカー共がしつこく追ってきた!
実はジャヴェールよりも彼らの方が面倒だったりして…
…日本語版「レ・ミゼラブル」メチャ腐ってる!
いやスミマセン腐ってるのは腐った原稿をしながらさらに腐って行く私の頭なんですよねえぇぇぇ
親戚のお葬式
先週ゼミ終わったら絵にかかるぞ!…のつもりでしたが予想外の出来ことがあって…実は週末から数日間、親戚のお葬式がありました。私は手伝いを兼ねて母の代理人(海外にいるので来れなかったため)として殮襲(死体を洗って寿衣を着せること)、出棺、火葬、安置など重要な儀式にすべて参観せざるにはを得なかったんです。
と言っても、正直好奇心がまったくなかったとは否定できません。子供の頃にも葬式に行ったことがありますが、あの時は怖くて泣いていたばかりで、よく覚えていません。それに子供だったからとうぜん殮襲の参観も許せなかったし、火葬ではなく埋葬だったのも違いました。カトリック+儒教式なのは同じでしたけど。そして故人の遺族の人とは仲がいいけど故人本人は私にとってとても遠いよく覚えられない方で、感情的にもそんなに重くなかったというか。大変失礼なことかも知れませんが、正直ほぼ冷静なままで、悲しい感情はほとんどなく、同時に何だか落ち着かない複雑な状態で今に至っています。
それは葬式という儀式自体は死人への離別を告げるためであり、いつか訪れる私達みんなの死を忘れさせない大事な意味をもっているからでしょう。そういう空間なんだから、たとえ私自身が悲しまなくても遺族の悲しみがうつってくる。もちろん彼らの悲しさに比べるものではないが、それに触った人間の心にも響きを起こし、揺らせる。疲らせる。だから葬儀屋さんの仕事を改めて尊敬することになりました。真の配慮と誠意が必要な仕事ですから。今度の葬儀屋さんは私とあまり年の差のない若い人で、殮襲の時はまるで大事なガラスのお人形を扱うような丁寧な仕草が印象的でした。もちろん殮襲作業の現代化もあるんでしょうけど。(叔母によると、昔の殮襲のやり方はかなり見苦しかったらしい)他にも遺族に火葬の過程を説明してくれたり、(韓国に火葬が一般化されたのは最近のことなので)色々ケアしてくれて親戚達にも評判。
最後に“一握りの灰になった”という表現がウソではなかったことを確認し、すこぶる虚しい気分に。いや、ほんとうに一握り分でしたよ。人間ってそんなに小さかったのか。しかし、ある意味ではきれいさっぱりして良いかも。どうせなくなるもの、一握り分で十分ではないか。
遺骨は遺族の家の近くにいる聖堂の納骨堂に安置することになりました。明るくて広くて大理石をつかったステンドグラス風の壁画が美しいきれいな場所で、少し驚きました。こんな所なら遺族も安心して、多少は楽な気分で訪れるかもしれない。実に安置ミサの途中、中年の女性とその息子達に見える10代の少年二人が奥の部屋へ向かうのをみました。この納骨堂って初めては街の住民から「子供達の教育に悪い」という理由ですごく反対されたけど、果たしてそうかな。街中に共同墓地がある国って結構あると思うけど。亡くなった大事な者を、死を日常の中で覚えさせるのがそんなに悪いのか。
…まあ今の私のように落ち着きがなくなるかもしれないけど。(笑)考察もいいが、掃除したり料理したりネットしたり、とにかく日常のペースを取り戻すためがんばっています。
にしてもネームがうまく行かないんですうぅぅぅぅぅ…




